【第108号】他の名物教師

校内の空気をつくっていたのは、名物教師たちだったと思う。

直接指導を受けた中での2番手は「凸(とつ)・坂野先生」だ。トレードマークのおでこから禿げ上がった頭による愛称で、皆が「トツ」と呼んでいた。

数学教師で軟式庭球部顧問。ほぼ年間通じて白い短トレパンをはいてラケットを持って校内を歩いていた。「テニスの合間に授業する」と言われていたが、それは非難よりも羨望と尊敬を含んだ言葉だった。様々理由はあったろうけれど、時間割を一人でつくっている、という噂だった。団塊世代の在学時代(1学年500名近く、1クラス50名以上)のこと、「移動教室」であり、生徒一人ずつの進路に合わせた時間割だったのだから、PCの存在もなく、どんなに大変な仕事かと生徒が心配するほどだったのだ。

実にきめ細かな時間割で、音大志望だった私には「特音」という時間があり、一人で勉強したり楽器練習をする時間割があった。

クラスマッチでは「教師チーム」の庭球は毎年強く、決勝戦まで残った。

3番目は「ちくそん筑邨」、藤岡改造の俳号で、当時すでに有名な俳人と言われていた。生徒は、ちくそんが、一切人間関係の上下左右を意識しないことを見抜いていて、まるで同レベルで遊んだりからかったりした。教室の戸を開けると黒板消しやチョークが頭の上から降るなどの仕掛けは年中だった。一度、図に乗った数人が、薪ストーブに椅子をくべたことがあった。4本足の1本を抜いた椅子を仕掛けられて転げても怒らなかったちくそんが、その時は本気で怒って出て行ってしまった。教室全体が寂しさに包まれた。悪ガキほどちくそんを愛していた。

今も「信毎俳壇」の選者でご活躍なのがうれしい。

深志で、魅力的な大人に出会えたことを、人生の宝と思う。

筆者紹介 : 太田 正子