【第109号】諏訪清陵との交換会

『深志140年のあゆみ』の昭和42年(1967)のところに、「6月6日、清陵深志交換会、松本市県営体育館で開会式と全体弁論会を、単位交歓と閉会式は深志で行う」と書かれている。私が高校3年のときで、ちょうど50年前になる。

6月6日の火曜日が、深志と諏訪清陵高校との2年ぶりとなる交換会だったが、前日の5日に、諏訪から歩いて来る清陵生を迎えるために、夜行軍に出た。深志生100余人が、塩尻市の丘中学校まで迎えに行くのだ。午後4時に深志高校を出発。各部は、それぞれに旗を翻しながら歩く。ほとんど下駄履きだった。私は演劇部だから、4日の日曜日に学校へ行って、部長と二人でよく目立つ人形を作っておいた。市中を歩く我々に市民の好奇の目が集まる。

薄暗くなった7時頃に丘中学校に着いた。そこで徒歩隊の歓迎準備。清陵生200余人の到着は10時近かった。合流して校歌や応援歌をお互いに歌い合った。そこから深志めざしてみんなで歩く。道中の話がまた面白かった。深志に着いたのは零時半だった。

6日の交換会には、この日にバスで来た清陵生も合流して、盛大だった。生徒会長と校長のはなし、弁論会もあった。11時半から、それぞれの部やクラブにわかれての交換会。演劇部は、清陵が14人、こちらが12人、そして顧問の石上順先生と、円陣をくんで昼食、話、さらには、清陵伝統の寸劇をやりあった。あちらの上手なのには驚いた。こちらも負けてはいられないと、みなで寸劇に興じて笑いあった。4時からの閉会式で幕を閉じた。

この交換会が縁で、7月23日の日曜日の清陵祭に、部員全員で観に行った。演劇部公演は「どん底」。講演後の反省会にも出てみなの思いを語り合った。ついでに諏訪二葉高校の二葉祭の演劇部の「女学者」も観に行ってきた。

清陵祭の会場を清陵の友人と歩きまわり、7時過ぎに諏訪からバスで帰った。

9月の第20回とんぼ祭の公演にも、清陵生が来てくれた。

筆者紹介 : 小松 芳郎