1964年、東京オリンピックが開催された。私は小学校3年生であった。当時は「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた時代で、私もご多分にもれず、強いものが勝つことに賛辞を送っていた。松本でおこなわれた聖火リレーも見に行ったし、開会式をテレビで見て感動した。女子バレーボール、男子の体操、ウェイトリフティングで金メダルをとると大いに感激した。
その一方で、マラソンのアベベ、体操のチャフラフスカなど外国のアスリートの存在を知り、その活躍に魅了された。アベベはエチオピア、チャフラフスカはチェコスロヴァキア、アフリカや東欧の国々の存在を知り、運動会で張られた万国旗に興味をもった。特に冷戦下にあって東欧諸国のアスリートの活躍は、資本主義国だけではない世界の在り方を知る良い機会であった。
TOKYOオリンピックの開会式が一週間後となった。あまりにも問題を孕んだオリンピックが幕を開ける。コロナ禍のなか世界から多くの人が日本を訪れることによって何が起こるのか心配は尽きない。国内では人流の抑制が重要とされるなか矛盾を感じざるを得ない。
これまでにない競技も登場し、多くの国々のアスリートが一堂に会する大会は、本来であればこれからの時代を考えるうえで実りあるものであるはずだ。しかし、ワクチンの予約に四苦八苦し、様々に行動が制限されるなかもろ手を挙げて喜ぶ気にはならない。
夏と言えば甲子園。これからの時代を生きる若者の爽やかな活躍に期待したいものだ。