【第194号】管理

 高校生のころ、応援団管理委員会、略して応管に所属していた。応管は生徒会に属する委員会。応援団を管理するとは何をするのか不思議な組織だった。応援団長は選挙によって選任され、応援団は生徒会とは別の組織と理解していた。
 応管は何をしていたかというと、対面式、新入生を対象とした応援練習、蜻蛉祭のモニュメント、正面玄関のアーチ制作、ファイヤーストーム。応援といっても我々のころは野球の応援がメインであった。それも応管を中心とする応援が主であった。そう考えると、応援団を管理する機会はほとんどなかった。まったく不思議な組織であった。団長は、なぜか校歌斉唱のコールは任された。これも不思議である。

 それはさておき、日本は法治国家であり、生活の様々な場面で法律に出会う。出生届から死亡診断書まで人の一生は法律によって規定されている。加えて、義務教育、成人年齢、社会人になれば労働法、年金、健康保険、至る所に法律が存在する。
 最近、自転車に乗る機会も皆無であるが、自転車は車道の左側を通行しなければならない。かつて、自転車を利用していたころは歩道も疾走したし、飲酒運転も自転車の特権であった。法律も時代によって変化しているようだ。愛煙家にとっても肩身の狭い時代になった。

 ところで、このところ管理社会が強化されつつある場面が増えた気がしてならない。熱中症対策のため室内ではエアコンを使用しましょう。コロナ対策ではマスクをしましょう。などなど。これらは法律によって規定されているわけではない。にもかかわらず、そうしなければならないような気になる。マスク着用に至ってはトラブルも発生している。想定外の出来事が多発している時代であるから無理からぬところも多いとも思うが、管理する側と管理される側の双方がよく考える必要があると思う。

筆者紹介:水野好清