【第182号】移動の自由

かつてヨーロッパ中世の時代、土地緊縛制により農民の移動は制限されていた。「都市の空気は自由にする。」という言葉も存在し、やがて市民革命を経てさまざまな自由が確保された。

子供のころを振り返ると、移動の自由はあったものの、母の実家があった上田や叔父がいた名古屋に行ったことを思い出す。しかし、せいぜい年に1・2回程度であった。やがて、高校生、大学生になって思いのまま行きたいところいくことができた。社会人となり、海外にも出かけ、日本国内でも飛行機を利用して日本全国にでかける日が来た。

一方、最近では、高山を訪れると中国語を話す人々の声を聞き、札幌の北海道庁をはじめ至る所で中国語や韓国語が飛び交っていた。美瑛へ行く観光バスでは日本人が稀であった。松本でも多くの外国人観光客を見かけるようになった。

そして、新型コロナウィルス騒動。学校でも社会生活の至る所で大きな問題になっている。グローバル化が進むなかでグローバル化の負の部分かクローズアップされつつある。ブロック経済の時代や保護主義に逆戻りすることはあり得ないにしても、環境問題や民族多様性社会の在り方をしっかり考える必要があるのではないかと思う。

筆者紹介 : 水野 好清