【第181号】元同窓会長・第9代松本市長 降旗徳弥

昭和32年(1957)3月、降旗徳弥は第9代松本市長に就任した。この年1月、松岡文七郎市長が急死したことによって、革新側は筒井直久(第7代松本市長)を擁立した。衆院選で落選中だった降旗は立候補を決意。自民党は選挙事務長に植原悦二郎、副事務長に唐沢俊樹と増田甲子七の現・前代議士をあてた。

80.57%の投票率で当選した降旗は、松岡前市長からの引き継ぎであった市役所新庁舎の建設計画を大転換して、鉄筋コンクリート5階建て、地下1階、エレべーター2基付きとした。当時、これほどの施設は県内になかった。「松本第一主義」、さらに「品格のある都市」建設を目指した。

就任2年目の34年8月14日、豪雨によって女鳥羽川が氾濫し、市中心街は泥の海と化した。災害救助法が発動され、総理の岸信介、建設大臣の村上勇、農林大臣の福田赳夫の3人が被災地視察と見舞いに松本を訪れた。女鳥羽川改修工事は5年計画で進められた。同じく就任2年目の秋、松本城と松本市の名を高めた、月見櫓での裃姿による「月見の宴」も有名だ。県営松本空港の開港も降旗が手がけた。全国市長会長にも選ばれた。

昭和44年3月まで松本市長を3期12年勤めた降旗徳弥は、48年12月に深志同窓会長に就任。昭和62年12月までつとめられた。深志同窓会名誉顧問となった。

松本市中央図書館入口近くに、平成7年(1995)1月に完成した「普選実現運動発祥の地記念像」がある。碑文に、日本の普通選挙(普選)運動は、全国に先駆けて松本ではじまったとある。その中心になったのが、中村太八郎・木下尚江と、代議士として尽力した降旗元太郎である。この解説碑文は、降旗徳弥氏の依頼で、私(小松)が書かせてもらった。除幕式で、車椅子で参列した徳弥氏の嬉しそうな姿が忘れられない。亡くなったのはそれから8か月後の9月5日のことであった。明治31年(1898)9月生まれ、96歳であった。

筆者紹介 : 小松 芳郎