【第168号】コミュニティの崩壊

対面式に始まり応援練習、郷友会の闇鍋、試胆会などいくつかのセレモニーを通じて深志高校の生活が始まった。これらのセレモニーは深志生になるための通過儀礼であり、大人への登竜門だった気がする。戦後30年過ぎた時代に、旧制高校の寮歌を歌い、バンカラを気取っていたことを思うと、いささか時代錯誤の感あるが、いい思い出である。

古き時代の悪しき伝統を受け継いでいたとはいえ、深志生というコミュニティの一員になることに誇りを覚え、その時に身に着けたいくつかのことが未だに今日の自分の考えを形作ってきたことは否定できない。

最近の世間をみると、個人主義が強すぎる気がする。六法全書による社会という言葉がある。かつてのコミュニティは崩壊し、個人主義を前提に六法全書に規定された集団の在り方に苛立ちを覚えることは多々ある。これまで、自分勝手に生きてきた人間としてあまり大きなことは言えないが、六法全書だけでは語りえない人間関係が希薄になっているような気がしてならない。

松中の先輩が、「自治は自ら治めるではなく、自ずと治まるの意である。」と語ったことを、思い出す。個人から発想するのか集団(コミュニティ)から発想するのか、今一度考えてみる必要がありそうだ。

筆者紹介 : 水野 好清