【第167号】旧制松本高等学校校舎の保存と熊井啓

大正8年(1919)4月に松本高等学校が設立され、9月11日、松本中学校校舎を仮校舎として開校した。今年でちょうど100年になる。翌年に県町に校舎(本館)が落成。11年に講堂が建てられて全校舎が完成した。

昭和25年(1950)3月、第29回生が卒業して松本高等学校が閉校。42年、校舎は信州大学人文学部となる。48年4月、人文学部は旭町キャンパスに移り、校舎は閉鎖される。この頃から旧制松高の保存運動がおこる。

映画監督だった熊井啓(松中69回)が、『信濃毎日新聞』(昭和49年2月2日)に「ぜひ残そう旧信大校舎 文化財保護運動の契機に」と、次のような文を寄せた。

「昨年、私は仕事で信州各地を歩き、自然破壊の実態を目のあたりに見たが、同時に文化財の破壊のはげしいのにも驚かされた。代表的なものでは旧制松本高校、その後の信大文理学部校舎がそれである。残りの建造物も本年3月に取り壊される予定と知り、慄然となった。

私は信大・松高同窓会、松本市、その他それぞれの立場をめぐって、今日に至るまでの経過を各方面から聞き集めた。目下、急を要する問題は3月に取り壊す予定の工事をいかにして食い止めるかにあると思った。

私たち有志は12月23日、松本市長深沢松美氏に面会をもとめたところ、市の要職にある方々も一同席し、とりあえず3月に講堂、本館などを取り涙すことだけは食い止める方向にもって行こう、という快諾を得ることが出来た。その後、深沢市長は信大学長加藤静一氏と会ったり、学長も私の友人たちとの話し合いに応じ、最善の方向へもっていくべく心をくだかれておられると聞く。」

昭和52年3月、松本市は、建物及び敷地の一部を国から買い取り、文化財として保存と活用を決め、施設の補修等を実施。54年10月1日、「あがたの森文化会館」として開館した。

56年2月2日、本館・講堂とも長野県宝に指定され、平成19年(2007)6月18日、本館と講堂は重要文化財に指定された。

筆者紹介 : 小松 芳郎