【第140号】弥生時代

小学校の修学旅行で静岡県の登呂遺跡に行った。登呂遺跡は弥生時代を代表する遺跡である。弥生時代といえば稲作。小学校の記憶をよみがえらせるとき、とりわけインパクトのあるものである。

ところで、北海道の歴史をたどると、この弥生時代がない。縄文時代、続縄文時代、擦文文化とつづくのである。その理由は、稲作は東北地方まで広まったものの北海道には伝わらなかったからである。今では北海道はトップクラスの米の収穫量を誇るが、この時代稲作は行われていないのである。弥生時代は日本全体を覆うものではないということである。

話変わって奈良時代。奈良時代といえば律令制。もとより律令制は、中国の唐の制度である。租庸調の租を考えると、日本では米。ところが唐では米ではなく粟(ぞく)である。唐の都は長安であり、黄河沿いにある。この地域は畑作地帯であり、粉もの文化が広がっていた。日本では米、からすると中国の粟には違和感を覚える。

小学校以来どことなく培われた米についての先入観。生まれた時から食べてきた米。これも時代をさかのぼれば、それほど当たり前のことではなかったようだ。ありふれた当たり前について考えてみた。

ついでに、御飯という言葉は、江戸時代、白い温かいものだけをさしたものだそうだ。それ以外はメシ。例えば、冷やめし、釜めし。

もうひとつ、あるレストランのシェフの話から。米を炊いてそのまま食べるのは日本だけだという。最大の要因は水にあるそうだ。

筆者紹介 : 水野 好清