【第209号】昭和37年の移庁運動

 

 長野県庁舎別館は昭和23(1948)年に焼失後、翌年に新築されたが老朽化し、再建の機運が高まり、昭和35年12月に建築調査審議会が設置された。この審議会が、37年9月「改築庁舎は長野市の現庁舎位置に建てる」との最終結論を出した。
 県の中央部に移転を希望する松本市など中南信80市町村は、37年11月28日、「県庁移転新築期成同盟会」を結成、会長に降旗徳弥松本市長(のちに深志同窓会長)を選んだ。同盟会は、11月に松本市に各種団体代表者を集めて総決起大会を開き、①各市町村ごとに移転新築議決をおこない、12月県議会での議決を要請する、②移転新築の場合、建築費は80市町村で分担する、③中南信100万人の住民の署名運動を始める、④県中央部に通ずる県下全体の道路整備実現の計画を進める、などを決議した。
 このような動きに対し、長野市を中心に北信の9市の議長会が「中南信側が12月県会に移庁決議を出す場合は、これに対抗する行動をとる」と態度を決め、長野市でも商工団体などが集まって、37年11月28日に県庁移転絶対反対市民総決起大会を開いた。
 12月県議会へは、南信側の移庁決議は提出されず、審議会もその具体的取り扱いを、38年4月の統一地方選挙後に見送った。統一地方選挙で多くの候補者が、この問題を取り上げたため、移庁問題にはふたたび関心が高まった。
 しかし県議会における県庁移転議決は、地方自治法の改正で3分の2以上の賛成を要することになった。また38年6月松本諏訪新産業都市の指定が内定されたが、中南信側議員が移庁案を提出するなら、東北信側は新産業都市の指定を否決する動きをみせた。
 7月11日、県庁舎建築調査審議会は、現在地に県庁舎を改築すること確認、8月30日には、県庁問題について南北の和解が成立した。定例県議会は、10月12日に県庁舎を現在地に新築することを可決した。
 43年5月11日に県庁舎落成式がおこなわれた。


筆者紹介 : 小松 芳郎