【第191号】松本中学初代同窓会長 加藤正治

 昭和10(1935)年、松本中学校が松本城内から現在の深志高校の地に移転したが、11月1日には新築校舎落成祝賀式と、創立50周年記念式典がおこなわれた。このとき加藤正治は卒業生総代として祝辞と挨拶を述べた。当日の午後、松本中学校同窓会創立大会が開かれたが、正治が会長に選ばれた。新築校舎内に建てられた同窓会館に、正治の「自強不息」の額が掲げられた。
 正治は明治4(1871)年3月、東筑摩郡生坂村の平林家に生まれた。22年3月に松本中学校を卒業、4月に第一高等中学校に入学。卒業後、東京帝国大学に進んだ。その年の7月22日、学生ながら長野県尋常中学校(松本中学校の前身)の同窓会に招かれて講演をした。
 30年に東京帝国大学法科大学を卒業、この年に鳥取県出身の加藤正義の養嗣子となった。大学院に進み、32年12月に破産法の研究にドイツとフランスヘ留学した。36年に帰国した正治は、東京帝国大学教授、翌年に法学博士となった。
 大正7(1918)年4月、東京の松本中学校同窓会が設立され、正治は会長に選ばれた。8年11月3日の松本中学創立35周年記念式典には、正治は「共同生活の観念」と題して講演。
 昭和6(1931)年に定年により東京帝国大学名誉教授、7年に中央大学法学部教授、23年に中央大学理事長兼総長になった。
 正治は俳句をよくし、犀水と号した。松本の城山南斜面に建つ正治の頌徳句碑は、昭和11年5月24日に除幕式がおこなわれたものだ。裏面には浅井洌の撰文と書が刻まれている。正治が中学生の頃、浅井洌の漢学塾に入っていた。正治の句碑は、ほかに、差切峡(筑北村)、穂高神社、森城址(大町市)などにある。
 昭和27年3月16日、正治は81歳で亡くなった.
 なお、正治がその発展に貢献した信濃木崎夏季大学は、今年、新型コロナウイルスの影響で中止となった。戦時中も途絶えずに昨年まで103回開かれていて、中止ははじめてだ。

筆者紹介 : 小松 芳郎