【第190号】焼却炉

 かつて、深志高校には焼却炉があった。昇降口から図書館に向かう所にあったように記憶している。今では身近に火の気は少なくなったが、高校生の頃至る所に火の気があった。公使室の隣の炊事場には竈があった。合宿の時にご飯を炊くのは一苦労であった。三段飯は懐かしい思い出である。なんといっても薪ストーブが使われていたのには驚いた。トンボ祭のファイヤーストームの後の消火活動には時間がかかった。

 記憶をたどれば小中学生の頃、我が家の風呂焚き当番は自分であった。家の庭にはやはり焼却炉があった。いつの頃からか風呂焚きも家の焼却炉もなくなった。火災防止もあるが煙害も一因であったのではないかと思っている。

 最近、家の片づけをする機会が増えた。片付けとなると、処分の方法が問題となる。松本市のホームページを見るとゴミの分別について細かく記載されている。古紙は資源ゴミなど。コロナ騒動で古着の回収が停止されている。海外で処理される国への搬送が困難とのこと。ここでもグローバル化の影がちらつく。

 それにしても、ゴミの量は凄まじい。通販生活では必要な商品とは別に段ボール、発泡スチロール、緩衝材のプチプチ、いずれもゴミとして処分しなければならない。大量生産・大量消費に加えて、付随するゴミが加わる。モノを買うにも、ゴミ処理をどうするか意識してしまう。7月1日からビニール袋が有料化され、エコバックが販売されている。便利さに慣れ親しんだ者には奇異な印象を受ける。

 この際、根本的に社会の在り方について問い直す時が来ているのではないだろうか。

 筆者紹介:水野好清