【第59号】穂苅元同窓会長を想う

「大正13年、南安曇郡三郷村生まれ。松本中学を経て康徳学院卒。満州(現中国東北部)に渡り協和会職員となる。昭和20年現地入営、敗戦でソ連の捕虜となりシベリアに抑留され北朝鮮に移送、21年帰国する。23年(株)林友の前身である林友会松本製材所がスタート、常務取締役を経て、33年に社長となる。感謝と奉仕をモットーに、豊かな住まいづくりをめざし、木材・建材をはじめとする住宅資材から、家具インテリア、ホームセンター用品、さらにカナデアンシーダーハウス、ツーバイフォー住宅など次々と事業を拡大してきた。63年には創業40周年記念として、すべて木づくりの林友ホールを建設、全国展開をはかる拠点とした。事業に打ちこむとともに、松本市教育委員、裁判所調停委員、松本商工会議所副会頭等を経て、現在、松本日中友好協会長、深志同窓会副会長など幅広い活動をつづけている。『シベリア抑留記』『木の心』などの著書がある。」

平成6年12月発行の坂口清一写真集『信州の風貌』に紹介されている穂苅甲子男さん(当時70歳)の記事だ。

同窓会やあちらこちらでの催しでお会いしたときは、いつも穂苅さんから私に握手を求められてきた。川島芳子を偲ぶ会には、毎年参加させていただいたが、そのたびに発言を求められたりした。また、松本中学時代、私の父の後輩ということで、父の思い出も語ってくれた。130周年の年に刊行した『深志人物誌』Ⅲのときには、同窓会長の穂苅さんに、どうしてもお願いしたいことがあって、林友まで伺ったこともあった。

同窓会長としての穂苅さんの『深志人物誌』Ⅲの序文「この伝統を次世代へ」で、次のように結んでいる。

「戦後60余年を経て『教育』が厳しく問われております。私は『深志人物誌』から教訓を学んで欲しいと切に願うものです。志を立て、刻苦勉励し、世のため人のため尽くした先輩達の姿は私共の指標であり『導きの星』であると確信いたします。『教育とは』の答えがここにあります。」

穂苅さんが「導きの星」のひとりになってしまわれた。

ご冥福をお祈りします。

筆者紹介 : 小松 芳郎