【第47号】同窓会の会報

「人間は元来一人ぼっちで暮すことは出来ないものである。国許からのたよりがあったり、同級生からの連絡があったりすると急に元気がでたりまた励まされたりするものである。母校深志高校の同窓会報を発刊したいということは、久しい以前からの懸案であった。しかるところ時あたかもよし、深志創立百年祭が堂々と挙行することができたのでこの気運に乗じて、一挙に実現を期することになったのである」。

昭和56年1月1日発行「深志同窓会々報」復刊第1号の巻頭、降旗徳弥会長の「復刊のことば」冒頭である。

この第1号は、6ページで、「深志の森と百年館」「支部同級会だより」「先輩への追憶とその功績 この1年間に亡き人々を悼む」の記事のほかに、同窓生3人(萩元晴彦・中嶋嶺雄・熊井明子)が寄稿している。15社の広告の掲載が目を引く。

「実に十七年ぶりに同窓会報を復刊することになった。そのキッカケは何と言っても財政的な面もあるが、百年記念事業を達成した51年を契機に、各支部組織をはじめ、代議員制が確立して、そういう人々に同窓会の現況とか母校等の連絡を司るという使命が当然必要になったことに因るものと言えよう」と「編集のあとに」に書かれている。

なお、「松中深志同窓会会報」第1号が発行されたのは、昭和34年3月1日のこと。有志によって維持会を組織し、500人ほどの維持会員を要して発行された機関紙である。同窓会会員の寄稿をひろく仰ぎ、また同窓会消息等を載せ、かつ母校の近況を伝えて、松中・深志の連帯の昂揚をはかろうというものであった。この翌年の35年6月26日に開かれた定時総会で、従来の「松中深志同窓会」から「深志同窓会」と改称され、維持会は発展的解消となった。

今年1月1日、「深志同窓会々報復刊第20号」が会員各位に発送された。その数2万1868通だ。発行日は元旦、題字は第1号と同じ松中10回卒の中山久四郎氏、4ページの構成である。

筆者紹介 : 小松 芳郎