開智学校が、松本本町の女鳥羽川畔の旧全久院跡に建てられた筑摩県学を改修して、開校式をあげたのは、明治6年(1873)5月6日のことだ。午前8時からの式典には、生徒はもちろん、町や村々の老若男女がぞくぞくと集まった。
この開智学校は、筑摩県がすすめる開化政策・学事普及の拠点であり中心校であった。開校当初には、読本課・習字課・算術課・英学課の四課をもうけていた。110余人の生徒が在籍していた英学課は、県内で開智ただ一校だけであった。
開智学校の新築計画は6年におこり、7年になってから具体化された。8年4月21日に起工、1年後の4月18日に上棟式がおこなわれた。4月22日に盛大に新築開校式が挙行された。新築された開智学校の写真は、明治17年と25年に、米国の博覧会に出品された。日本を代表する学校建築だったのである。
この開智学校内に、第十七番中等変則学校ができたのが明治9年7月10日である。10年8月に第十八番中学変則学校、12年5月に第十八番中学正則学校、13年1月に公立松本中学校、16年12月に東筑摩中学校にかわっていく。
松本中学・松本深志高校の前身である中等教育の学校は、この5月でちょうど140年となる開智学校からはじまっているのである。