【第18号】丸山邸見聞録

松本市にある商業施設「カタクラモール」の南側市道を東に向かった先に、瀟洒な洋館があった。本コラム第11号で小松芳郎さんが業績を取り上げた丸山恒人元同窓会長の邸宅だった。既に取り壊され、往時をしのぶ術はない。

旧制松本高校が開校した大正8(1919)年ころ建てられた、と聞く。近くにある鈴蘭幼稚園を設立したE・C・ヘニガー夫妻が居住した宣教師館だった。設計は米国人建築家W・M・ヴォーリスの手による。同志社大学アーモスト館や関西学院図書館、大丸心斎橋店など全国各地のヴォーリス建築が知られる。

昭和15(1940)年からしばらく丸山邸として使われ、松高生が寄宿した。戦後はGHQ(連合国軍総司令部)の駐留将校の宿舎にも充てられた。元会長夫人は後年、ヴォーリス設計建築物の調査研究に訪れた大阪芸術大学の山形政昭教授から、建物の由緒と建築史に光彩を放つ意義を聞かされて驚いた。

失ってから気づく価値の大きさがある。街柄と人々の暮らしを宿した建物だった。保存への機運は盛り上がらなかった。「調べさせてほしい」と言って、ある建築士が邸宅の見取り図を持ち帰る。その書類が戻ってこない、と嘆いていた夫人もこの世にはいない。

筆者紹介 : 伊藤 芳郎