【第16号】尚志社の桜

深志教育会館の敷地にある6本の桜が、ことしも見事な花を咲かせた。母校伝統の自治の精神を体現した寄宿舎、尚志社がかつて建っていた場所で年々歳々の営みを続ける。

松本城の天守閣で逆立ちをしたという逸話で知られる大先輩、松原温三が明治30年、土居尻(松本市大手3)に創立した自炊団体、信濃舎がルーツである。温三の思想と人格に共鳴した人たちの精神的結びつきがその基となった。変遷を経て、温昌ケ丘(同蟻ケ崎3)の建物は明治36年に落成した。

「建物とは時間軸の上に立ち上がる空間である」。深志教育会館を設計した柳澤孝彦さんの言葉が、同窓会報の紙面に残る。「尚志社があった土地の記憶を引き継ぎたい」とも語っていた。

合宿生活を通じて切磋琢磨を重ねた多くの人材を世に送り出した象徴的寄宿舎も、昭和23年に解散となる。遠距離通学生のための寮として利用されたのち昭和36年、失火により焼失した。

桜は来し方の邂逅と別離に寄り添う。花影の移ろいに惹かれる思いは、ある年齢や出来事を境に年を追うごとに強くなっていく。学びと思索、バンカラの青春群像を思いながら、散り急いだ古木の樹皮に耳を当てた。新聞のお悔やみ欄が同級生の訃報を伝えた春。

筆者紹介 : 伊藤 芳郎