【第9号】熊井啓氏の綴った石上順先生

松本中学69回卒業の熊井啓氏は、昭和18年3月、田町国民学校を卒業して、松本中学を受験した。筆記試験はなく口頭試問と身体検査だけの入試だった。

国語の試験は、山上憶良の歌の解釈などで、質問したのは石上順先生、と熊井氏は記している。入学した熊井氏は、石上先生から国語を教わる。

松本の歩兵第五十聯隊が、新任務のマリアナ群島テニアン島に到着したのは19年3月。米軍の攻撃を受けた日本軍は8月2日に玉砕。先遣隊としてロタ島へ渡った107人は玉砕を免れたが、石上先生はその一員だったと、熊井氏は推定する。

先生がロタ島から復員したのは21年11月。授業が再開されたが、充分な教科書がないため、職員室近くの廊下の黒板に、詩・俳句・短歌、古典の名作の文章を選んで毎朝書き、先生は、それに長文の解釈を添えた。その一字一句をノートに写し取っていくうちに、戦争ですさんだ心がいやされ、不思議な安堵感と学ぶことの喜びが湧いてきた、と熊井氏。

昭和40年秋、熊井氏監督の「日本列島」が深志高校で上映され、氏が講演された。私は、このとき在校生として、映画を見て講演を聞いた。

私も、石上先生の授業を受け、お宅まで伺って相談したこともある。だが、戦地でのことは、熊井氏の本をみてはじめて知った。

先生にも熊井氏にも、お話を伺うことはもうできない。

筆者紹介 : 小松 芳郎