【第3号】松本中学校文書が焼却処分された

昭和二十年八月の敗戦直後から、松本中学の文書が多数焼却処分された。当時の小西謙校長が、のちに回想した『星条旗の下りるまで』(昭和三十二年)で、次のように書いている。

「八月一五日から程もない頃は物情騒然としていた状況もあった。松本辺でも陸軍の部隊あたりから聞えて来た情報だとのことで、新潟港にソ連軍が上陸し長野県へ二、三日中に進入して来る見込などという類のデマが真実らしく伝わり、一部の気早い人々は荷車に物を積んで近村へ曳いてゆくなどの姿も見られた。

当時、県当局からも学校へ電話連絡があり事務職員の聴取ったその内容は大要次のようなものだった。『戦時機密文書類、掌往復文書、軍関係書類、学徒動員書類、戦力増強関係書類は全部直ちに焼却せよ。どうしても残しておくて必要のある分は適当な方法で秘匿せよ。会計関係証憑書類も引むしり焼却せよ』。この事務をすべて学校長の責任において執行するように申添えられていた」。

県の指示によって、学校の戦争関係書類が速やかに焼却処分されたのである。当校においてどれだけの文書が焼かれたかは定かではない。また、秘匿されたであろう文書が、現在どうなっているのかも不明である。

その辺の事情をご存知の方は、深志同窓会資料保存管理委員会までご一報を。

筆者紹介 : 小松 芳郎