【第2号】祈りのリレー

落雷忌に西穂高岳・独標への山道をたどった。追想の足跡を踏みながらガラ場を行く。やがて独標直下のやせ尾根に立った。抜けるような青空と眼下の険しい急斜面に、成層圏に放り出された錯覚に陥った。慟哭の夏から45年が過ぎた。

岩峰に「祝記念祭歌」の静かな斉唱が流れた。かつての同学年生や母校の教諭たちによる追悼登山の一行が声を合わせた。「この丘の上にうちつどひ/命の歌を歌はばや」と一節にある。哀調を帯びた旋律に蜻蛉群像の青春が寄り添う。

悲劇に向き合った深志21回生は「カミナリ学年」とも呼ばれる。時の大学紛争の影響をまともに受けた学年でもある。昭和42年8月1日。悲しみに沈んだ夏。命を考え、友と絆を思った。来し方と行く末を問い続ける原点になったといっていい。

独標で亡くなった11人を偲ぶ楽曲「幾夜哀しき」が10年前から母校での慰霊祭で歌われる。「幾夜哀しき夢にかも/空しと知れど亡き吾子の」と嘆く断章は、親世代になってなお胸が痛む。遺族席の前を、白菊を手にした在校生たちの長い列が遭難記念碑に向かって整然と進む。深志の祈りと記憶はこうして次代にリレーされていく。

筆者紹介 : 伊藤 芳郎