鳥取市の医師・田中敬子さんが「鳥取県医師会報」2月号にエッセー「修学旅行 雷様を下に聞く」を寄せている。初めて登った乗鞍岳から北アルプスの稜線を遠望した「あの夏」の記憶と、自身の心模様をつづった。
昭和42年8月1日の西穂落雷遭難事故に遭遇した「カミナリ学年」と同い年で、岡山県立津山高校の2年生だった。乗鞍岳からの下山途中、雷鳴を聞き、閃光や稲妻を見た。童謡唱歌の一節を雲の上で体感した感動も、岐阜県高山市内の宿泊先で知った事故の報道で暗転する。
「なぜ、こんなに、あの時の稲妻が思い出されるのだろうか」「なぜ見ず知らずの高校に行かなくてはいけない、と長年思ったのであろうか」。いつか慰霊に行きたい、と念じ続けた。
修学旅行から半世紀近くを経た一昨年秋、松本深志高校の慰霊モニュメントの前に立った。亡くなった11人が「僕たちのことを忘れないでくれ」と残したダイイングメッセージが同じ雷、同じ稲妻を見た私に偶然 届いたのかもしれない、と文末に書き記した田中さん。
忘れられない出来事を、記憶のひだに留めながら歩んできた1人である。