田村清(きよし)さんは87歳。北アルプスの稜線を望む福祉施設を終の棲家に定めて2年が過ぎた。「カーテンを開ければ白き山の脈(なみ)」。冬の衣装をまとった西山の朝を切り取った。
部屋に石膏像の木炭画が飾ってある。A2大の紙に収まる右から見た横顔。鼻先を画面右側に置き、後頭部の一部は画面左端でカットされている。光が当たる額は白く浮き立ち、あごから首筋にかかる部分は木炭を重ねて描かれている。
大きく描こう、量感を持たせたい、という作者の制作意図が伝わる。左上の余白に「2B1-26田村洋一」とある。
松本深志高校2年1学期の美術の授業で描いた作品だった。夏休み前に自宅に持ち帰って間もない昭和42年8月1日、洋一さんは西穂落雷遭難事故で亡くなる。母親にとっては16歳で逝った長男の息遣いをしのぶ1枚なのだ。
あの日の事故を自宅のテレビで知った。自転車で学校に駆け付けた。翌日向かった上高地で聞かされた悲報。学校に運ばれたわが子の足は冷たかった。50年近く経ったいま、どれも鮮明である。
田村さんは山影の向こうにある悲しみの岩場を忘れない。木炭画を見ながら「ここに洋一がいるような気がしてね」と声を詰まらせた。