【第50号】メディア考

深志の校史に刻まれた出来事をめぐって複数のメディアから取材を受けた。

社会面で談話とともに大きく報道した新聞に対し、別の新聞は催し物扱いの2段見出しだった。聞かれた内容はほとんど載っていない。連写機能付きのカメラでパシャパシャ写真を撮り、取材に時間をかけていたわりに扱いは淡白だった。

取材の仕方も好対照だった。前段の記者は物事の深層をさぐるように問いを重ね、後段の記者は聞き出した答えを反復する確認作業を怠っていた。記者資質やニュース感覚の違いによる。狙いを定めた力のある直球と、制球力のない棒球に例えたい。

取材される側は、自らの言葉が記者に正しく理解されているかどうか、実は不安なのだ。まして半世紀近くも前の出来事にかかわるニュースの核心を、親子ほども年齢の離れた記者から取材されるという状況である。

メディアの中核を自負する新聞に誤報、虚報などあってはならない。裏を取るという基本を疎かにしたゆえの過誤は、消しゴムや削除キーでは決して消えない。最前線に立つ記者の取材姿勢からも紙媒体の品質が透けて見えた。新聞離れが加速しなければいいのだが。

筆者紹介 : 伊藤 芳郎