【第51号】島々線・浅間線電車と上条信

信は、明治17年10月に東筑摩郡新村に生れた。6尺もあった信は、松本中学時代は寮生活を送り、野球部で1塁手だった。36年3月に卒業(松中第24回)して早稲田大学に進んだが、高齢の父のため帰郷して家督を継いだ。

大正2年、29歳で新村の村長になった信は、小学校の校舎を新築した。材木が不足すると、自分の山から木を切り出し、石垣の石も自宅のものを使った。ピアノも信が寄付しようとしたが、村議会は村での購入を決めた。信は、それに代わる天体望遠鏡・蓄音機などを寄付した。

信は、大正4年3月、松本・安曇村稲核間の23.2キロメートルに鉄道敷設許可を申請したが不許可。8年12月に認可された。発起人代表の信は、筑摩鉄道株式会社として本社を新村に置き、9年3月25日に新村の専称寺で創立総会を開催、信が社長に選任された(現在のアルピコの発足)。

筑摩鉄道は9年11月に着工し、松本・新村間の営業開始は10年10月だった。新村・波多間が11年5月に開通し、島々(波多村前淵)までは9月に開通、松本・島々間15.7キロメートルが全線開通した。10月16日、開通祝賀会が新村停車場前広場で開催された。招待者は900人で、式典後に信の自宅北側の松林で園遊会が行われた。

信は、松本・浅間温泉間5.2kmの軌道敷設免許を申請し、大正11年3月に認可を受けた。12年10月に軌道工事が認可されると直ちに着工。13年3月25日に、松本駅前と浅間温泉間が竣工、4月19日から浅間線の営業を開始した。

信は、昭和21年に再び新村村長に当選。24年に村長を辞職、25年10月8日に67歳で亡くなった。

島々線は上高地線になり運行中、浅間線は昭和39年3月に姿を消した。上高地線の新村駅舎の保存がいま地域の課題となっている。

筆者紹介 : 小松 芳郎