【第19号】十一の心

先日の同窓会中等教育資料の整理作業の折に、西穂遭難の記録などが納められているケースをみた。図書館2階の自習室の片隅に置かれているが、ほとんど顧みられていない状態である。その管理について学校にも聞いてみたが、対応するとのこと。

昭和42年8月1日、3年だった私は、昼間から学校でトンボ祭に向けての部活動をしていた。午後5時頃の休憩時間に、深志生が西穂高で死亡と聞かされた。そのうちに事務室へ新聞記者がかけつけてきた。事務室へは生徒が心配して集まってくる。黒板に「学年登山遭難死亡者名」が書かれていた。母親らしい人が来て、「本当ですか、ほんとうですか」と先生に聞いていた。7時のNHKニュースでは、まっさきに取り扱われた。校内の電話があちこちでなっていた。

8月2日の水曜日、晴の日の朝、学校へ行った。黒板に「本日補習中止」とあった。まだ行方不明者がいるらしい。そのうちに、3人の死亡が確認されたという知らせが入った。午後1時30分頃、第一陣の遺体がヘリコプターで校庭に到着。同じクラスの人に運ばれて207教室に。そこで検死され、206教室で納棺された。午後6時頃から講堂で告別式。

46年前のその時留めた自分の日記から、当時の記憶が蘇ってくる。私は、「深志」の「志」の文字を、「十一の心」と読み替えて、亡くなった11人を偲んでいる。

筆者紹介 : 小松 芳郎