【第1号】父の仲間

『きけわだつみのこえ』に最初に掲載されている上原良司の「所感」。文中に「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます」とある。昭和20年5月11日朝6時半に鹿児島県知覧飛行場を離陸、午前9時に敵艦船に突入。22歳で逝った良司は、生きていれば今年で90歳になる。

昨年10月発行の同窓会の『会員名簿』(黄表紙)75頁、松中61回「物故者」に良司の名がある。同じ欄に、私の父の名もある。

良司と父が同級生だったことは、だいぶあとになって知った。父の中学時代のアルバムには、一緒に写ったものが何枚もある。

歴史上の人物として人々の記憶のなかにある良司を、随分と昔の人だと思っていたから、父と同じと知って不思議な気がした。

松本城二の丸にあった松本中学校へ昭和10年に入学、その年7月21日から3日間、現在の校舎へ引越した。「天守閣を見上げた我々も、こんどは天守閣を見下すようになった」と良司は作文に書いた。父も、引越し作業の様子を日記に書いている。

敗戦時に病気で入院中だった父は、生きて故郷に戻った。34年前に亡くなったが、生前に戦争のことは何も話さなかった。

同期に巣山正春先生がおられる。深志20回の私は階段教室で化学を教わった。

筆者紹介 :小松 芳郎