【第239号】『来た道、行く道』

竹本 祐子(25回)
エッセイスト、松本市監査委員
元 合名会社 亀田屋酒造店 社長

 卒業から五十年。長かったような、短かったような、胸の内にさまざまなシーンが去来する。特別講義55分の持ち時間内で、これまでたどって来た道を話そうとすると、一年を1分で話さなければならない。高校生にとって今一番頭を悩ませているのは、何か。進路の選択か、部活動か、好きな人ができたことか、いやいや成績はともかく、当面はテストに備えなくては、といろいろなことが頭を駆け巡っているに違いない。

 五十年は半世紀。教育現場も変われば、教科の内容も進化している。教室には電子黒板も備えられ、デジタル・ネイティブの若者らは、七十に近い人間の言葉をどう受け止めるやら。やはり言葉だけでは心もとないので、パワーポイントを使って画像を何枚か用意し、キーワードを画面に落とし込み、十ページほどのストーリーを展開した。これから先の進路を決めていく、一縷の手掛かりにでもなってくれればと。

 しかしここで考えた。頭の回転の速い深志生なら、レジュメを見ただけで何を話すのか推測できてしまい、端から新鮮さも感動もなく、年寄の戯言と受け流しかねない。そこで、担当教諭には、紙ベースのレジュメは講義の後で配布するようにお願いをする。

 さて、教室内を見回すと八割が女子生徒。深志もいまや男女が半々になったと聞く。とりあえず、大学の話。経済学部のクラスで女子学生はたった3人だった。担任教授から“Jack of all trades, none of masters”(多芸は無芸)と揶揄されながらも、厳しく鍛え上げられたこと。そして建国二百年のアメリカへ留学。行ってみなければわからないことがたくさんあり、いろいろな経験をしたこと。翻訳家を目指して、そこで生涯の恩師に出会い、ミステリ翻訳をしながら小説を書くことになった経緯など。そして人生の転機は突然に到来し、家業を継ぎ会社経営をする傍ら、逡巡する間もなく荒波に揉まれてもなお、それまでの経験が役に立って無芸な私でも今に至っていること。(クロの旅立ちを見送った学年として、いつも傍らに犬がいて支えてくれた思い出も添えて)

 こんな昔話にも熱心に耳を傾けてくれた生徒さんたちには感謝しかない。あとで感想をいただいた中に、仕事にはキャリアを積むためのものと雑用をこなすものの二種類があることも、きちんと受けとめていた。後輩らもやがて濁世の波にもまれつつ、どう道を歩むか選択し、未来を切り開いていくことを願う。

筆者