杉山 敦(25回)
杉山外科医院(松本市)
元信州大学医学部助教授・松本市医師会顧問
尚学塾講義の機会をいただき、不勉強であった深志生が医師の道を志して行ってきたことを振り返らせていただきました。皆さんはこれから、多くの興味深く面白い事、時に驚くようなことに出会うことができるので、今しっかり勉強してくださいね(自省を込めて)、が生徒諸君へのメッセージでした。理科系の方は「ヨビノリ高校物理・化学」のYouTube動画を、授業と並行してあるいは受験勉強のとき覧ることを提案しました。
信州大学医学部附属病院では消化器外科医として食道・胃・大腸の領域を担当し、時に体力の限界も垣間見るような癌手術を沢山しました。肝移植医療にもかかわり、脳死肝移植手術の開始時には病院の広報担当として、新しい医療の情報はできる限り公開するという理念のもと巨大メディアと対峙しました。若い世代の方に臓器移植カードに意思表示をして所持して欲しいと願っています。
ピロリ菌の胃発癌性をスナネズミの動物実験で証明する、外科医に向いた力業の研究をしました。1998年、長野オリンピック冬季大会の選手村診療所の運営に手術後毎日通いながら受け取った論文採用を伝える雑誌編集部からのファクシミリは、私と共同研究者の金メダルとなりました。ピロリ菌感染症制御による胃がんとの闘いは、保険診療となったピロリ菌除菌治療、松本市の胃がんABCリスク検診さらに中学2年生のピロリ菌検査の施策に発展して現在も続いています。
49歳からは24時間携帯電話の電源を切らない在宅療養支援診療所として高齢者や癌のかたをお世話し、多くの在宅看取りをさせて頂きました。人生の最終段階で、受けたいあるいは受けたくない医療と介護のあり方を考え話し合うことをアドバンスケアプランニング「人生会議」といいます。それを支える松本市版リビングウィル(事前指示書)の普及に努めています。
松本市医師会長として遭遇した新型コロナウィルス感染症との闘いは本当に長く苦しいものでした。世界と比較して低い死亡者数(単位人口あたり)で経過した日本の取った対策を静かに誇り、科学的に振り返ってより良い方策はなかったかを考え、次に備えたいと思います。実践するのは皆さんです。
コロナ禍が終息に近くなった2023年3月に、現役生徒諸君を交え「志音会70周年記念演奏会」を開催できたことは大きな喜びでした。同年、これまでの活動に対し松本芸術文化協会の音楽賞顕彰をいただき、大変光栄なことでした。高校時代音楽部の部活で取り組んだ事は、50年の時を経てずっと今の自分につながっています。
医学・医療、介護、福祉の領域は、決して楽ではありませんが、多くの患者さんそして高齢者障害者医療的ケア児の方々により沿う、取り組みがいのある仕事であり研究領域です。志を持って進路選択して下さる皆さんに,心から期待しております。