【第198号】三顧の礼

 かつて、数学の坂野先生(凸)に頼み事があり、勤務先の須坂の高校を訪ねたことがあった。もちろん、あらかじめ電話連絡をしてアポイントを取り訪ねた。高校卒業後10年以上が経っていたと思う。三顧の礼とまではいかなかった。何とか頼み事は実現できた。

 元々、人に何かを頼んだり、相談がある場合、直接会って話をするのが当たり前だと思っていた。直接会うことによって相手の表情やしぐさ、言葉遣いやトーンによって、相手を知ることができ、それによって対応の仕方を考えることができる。もちろん、電話連絡によってことを済ます場合もある。さすがに手紙を書くのは苦手だ。

 最近、メールの発達によって直接会って話をする機会も減った。しかし、同時に双方向のコミュニケーションの機会も減ったような気もする。というより、一方通行の連絡の機会が増えたような気がする。ある意味、上意下達の手段として使われているケースが多い。とても嫌な暴力的な面すらある。
このごろ、自宅の付近で工事が多く、自宅前の道路が通行止めになる機会が多い。チラシがポストに入る場合、看板が設置される場合、基本、一方通行の通知である。現場の担当者らしき人がいても挨拶もしない。怒りを覚えるときもある。

 メールについても一方的なのか双方向的なのか怪しい場合もある。さまざまな場面でコミュニケーション能力について、その必要性が語られているなかで、通信手段の発達によってコミュニケーション能力が阻害されているような気がしてならない。デジタル化の推進の裏で失われていくものが多々あると思う。

筆者紹介:水野好清