140周年事業実行委員会が、この3月20日に開催された。実質的なスタートである。この9月の総会までに、それぞれの事業委員会で検討された具体案が示される。
これまでの周年事業をふりかえるために、40年前の『深志百年』の巻末に掲載されている年表をみた。昭和51年5月に創立百年記念同窓会事業として「深志の森」造成が開始された。半年後の11月には、同窓会事業のひとつとして深志の森の宿泊施設「深志百年館」が竣工した。
まさに百年を迎えたこの年の春に『深志の森』という4頁の新聞が出された。深志の森委員会発行の第1号だ。深志の森と深志百年館は記念事業の二大柱だと、当時の同窓会長降旗徳弥氏が書く。学校長の岩垂潔氏は、深志の森造成にあたって在校生の協力を願い、植樹・下草刈りをおこなうことによって、自然に親しみ、観察する貴重な体験になると説く。
この新聞によれば、深志の森の概況は、大字三才山字本郷山の県有林内のうち20.26haで、県と部分林契約を締結しての森の造成である。契約期間は昭和49年から50年間、当面は植林を51年から3か年、下草刈りは引き続き5か年間実施するとある。この新聞の続報が手元にないので、その後の経過はわからない。
5年後の昭和56年1月1日発行の『深志同窓会会報』復刊第1号に、柴野武夫氏が「深志の森と百年館」と題して現況を報告している。51年から3年間で、ヒノキ・ウラジロモミ・シラビソの三樹種を植林し、野兎の害を防ぎながら、ほぼ順調な生育を始めていると書く。そして、百年館は、深志の森の造林小屋というはじめの構想をはるかに超えた立派なものとなり、休養施設のようになっていると記す。
この記事のとなりには、上原義司氏の「百年館清遊の記」で、同窓生12人が楽しく利用された様子が掲載されている。
あれから40年が経つ。百年館を今後どのようにしていくのかを考える検討委員会も同窓会内に置かれている。来年に迫った140年という節目の機会に、あらためて考えることが求められている。