同窓会ホームページ(HP)のトップページに「蜻蛉乙女(あきつおとめ)」という名のサイトがある。昨年度の定時総会で活動が承認された「深志同窓会女子会」のコーナーだ。
松原威雄作詞による校歌は、大正11(1922)年にできた。「蜻蛉男児(おのこ)に栄えあれ」と若い男子の前途を祈る。全校生徒のざっと45%を女子が占めるいまも高らかに歌われる。
昭和24(1949)年の春、男子校の青空に赤とんぼが舞った。「深志高校に入れてください」「どうして?」「男女共学というのをやってみたいのです」。先駆けの1人で、蟻ケ崎高校から編入となった影山裕子さんが、時の岡田甫校長に訴えた。
深志で1年を過ごした影山さんは、東大を経て日本電信電話公社に入社する。国立電報電話局長や本社経営調査役を務め、女性管理職の草分け的存在として活躍。「憬れの学校は自由闊達な空気に満ちていた」と後年、電話の向こうで語っていた。自治の学窓は、主張を曲げない評論家の地歩形成に少なからず影響した。
「松本高女」の校史を誇る蟻ケ崎は、昭和50(1975)年に共学へと移行する。「雪の頂 光は清く」と深志生も愛唱した旧校歌に代わって、現校歌は「清き銀河に思い寄せ 愛と真理と人の道」と歌う。