【第248号】果たせなかった約束のために

土川 勉 (26回)
 大映・角川映画(現・KADOKAWA)にて映画プロデュ―サーとして従事
現在 SKIPシティ国際Dシネマ映画祭・ディレクター

 2024年8月、尚学塾特別講義の講師の依頼が私のところにきた。
「なんで私が???」一度は固辞した。愚直に40数年、映画製作という小さな世界を生きてきただけの私が後輩たちに何の話をすればよいのか。
 しかし、再三にわたる要請で最終的には受けることにした。私を推薦してくれた友人たちがいたことと、もう一つ、以前からずっと心に引っかかっていたことがあったからだ。それは、同期の故・南沢利明君(旧性・浜沢)との約束を果たせなかったことだ。

 彼が亡くなったのが2000年8月だから、多分98か99年頃だったと思う。
 ある日、彼から電話がかかってきた。
 「いま深志で映研の顧問をやっているが、生徒たちが全然活動する気もなく困っているので、一度深志に来て、君から映画の話をしてやってくれないか。」というものだった。二つ返事で快諾したものの、その頃は仕事が忙しくなかなか時間が取れなかった。そして、彼の急逝。(深志同窓會々報No.31で、林律子さん(21回生)がコラム「遠き思いを語るかな」で「若くして逝った元気な英語教師南沢さん」と触れていたその彼だ。)
葬儀にも出られず、新盆の時に仏前で手を合わせ、約束を果たせなかったことを詫びた。

 そして、2024年11月22日、1年生47人に55分間、私が語れる映画について話した。
「好きなことを続けること、それは『楽しい』だけじゃない」(YOASOBI~群青~から)というテーマでの講義であった。テーマの出典までつけたのは、映画著作権の特殊性まで話そうと事前につけたのだが、そんな時間的余裕はなく杞憂に終わった。

 在校中、映画研究会に所属して顧問であり国語科の「筑邨」こと藤岡改造先生(松中・62回)が語る映画の魔力に取りつかれ、8ミリフィルムで撮影する映画製作の虜になった私は、その後50年間好きな映画と共に人生を歩んできた。講義では私が関わった映画「敦煌」と映画「沈まぬ太陽」を中心に、「映画の作り方」や「映画プロデュ―サーの役割」などを話した。多少苦労話も多かったかもしれないが、私たちの時代とは比べられないくらい、私の話を熱心に聴講してくれた生徒諸君には心より感謝する。そして、今回の講義によって、4半世紀ぶりに何か少しばかり南沢君との約束を果たせた気がした。

自主映画撮影のため城山公園に向かう筆者(右)1973年夏
用務員室のリヤカーを移動車代わりして撮影する 1973年夏・城山公園にて