同窓会報連動:稲川照芳様(深志14回) お手紙全文

この記事は、同窓会報に掲載の内容より連動しております。

 前略

 初めてお便り申し上げます。

 先ず、深志同窓会報をお送り頂きまして有り難うございました。楽しく、また懐しく読ませて頂きました。

 小生は第14回卒業生で駐ハンガリー大使を最後にもう16年前に外交官を辞し、その後は或る私大の客員教授や自動車会社の顧問をやらせてもらい、そのかたわら、外交問題などについて本などを出して、最後には、深志の先輩と共に翻訳(ドイツ語→日本語)出版しました。思えば小生の生涯には色濃く深志に彩られています。岐阜県中津川市の片隅から出て深志に入り、初めて親元をはなれて、松本で下宿を転々としました。或るときは担任の矢島先生と同じ下宿でした。2年生のときからドイツ語を学び、大学入試もドイツ語で受け、大学在学中に民間の複数の会社が立ち上げたスカラーシップで当時の西ドイツの大学に1年間留学し、大学卒業後は外務省に入りまして、ドイツ官補として、在外は大学での研修を含めると10回の内7回を、ドイツないしドイツ語圏に勤めました。

 その中で思い出深いのは、小生がプラハに在勤していた時の81年、当時の在西ドイツ大使であった吉野大使から連絡が来て、深志にいた国見先生がドイツ語を日本に広めたとして西ドイツ政府に招かれた、ボン滞在中に大使公邸に食事に招くことになった、よかったら小生も同席したら、と云うことであった。吉野大使は、松本中学卒で、小生もプラハの前にボンで同大使の下で働いた。小生は、車でボンにかけつけ、国見先生と久しぶりに懇談した。

 退職後3回(2回は同窓会)深志を訪ねましたが、或る平日に訪れ、そのとき休み時間だったのか、屋上に沢山の女子学生がいるのを見て、深志も変ったなあと思いました。小生が深志に在学中は、1クラス50名の内女子は5名のみでした。アキツ男女に栄あれ!と願わずにはいられませんでした。

 最後になりましたが、深志高校と同窓会のご発展をお祈り申し上げます。

2023年3月2日
稲川照芳