【第205号】昭和23年の分県運動

 

 昭和23(1948)年1月14日、長野県庁舎別館が全焼した。これを契機に、南信県民による分県運動がさかんとなった。火災直後、南信の県議会議員12人は、党派をこえて諏訪市で会合し、県が計画した県庁舎復築工事を延期するよう要請し、分県の実現を申し合わせた。
 松本市は、1月31日に臨時市議会を開催。分県促進期成同盟会を結成し、ほかの市郡町村とともに運動を展開した。さらに、松本市長筒井直久(松中43回)らは、2月3日に浅間温泉に集まり、分県促進同盟の結成、世論の喚起などをきめた。
 2月17日、松本市分県促進期成同盟会結成式が、市役所で各種団体・市民代表など約300人を集めてひらかれた。会長に筒井市長、副会長に市議会議長松岡文七郎(松中30回)らをえらび、分県実現を申し合わせた。同じ日、四市長・七郡町村長会長は、東山温泉で分県促進期成同盟会連合会(会長・筒井市長)を結成した。
 3月18日の県議会分県委員会では、賛成5、反対1(ほかは退場)で分県を可決した。この日、長野市は緊急市議会で分県反対を決議、翌朝市民約500人が県議会議事堂前におしかけ、登院する南信県議団ともみあう騒ぎとなり、消防自動車や警官が出動した。19日の県議会本会議は流会となった。
 南信がわ県議団は、「北信県」と「南信県」を設定するという意見書の提出を20日におこなうこととした。20日には、女性・子どもをふくめ長野市民約1000人が県議会議事堂前に集合し、南信がわ県議の登院を阻止した。南信がわ議員30人は、議場を松本へ移すように林虎雄知事に要望書をだし、松本市へ引きあげた。
 以後、南信がわ議員団と知事との交渉がおこなわれた。3月26、27日には浅間温泉で南信北信議員代表者会議がひらかれ、知事調停書に調印した。
 こうして、分県問題は、武装警官が長野県議会議事堂内外を固めるなかで、4月1日の県議会本会議に上程されたのである。


筆者紹介 : 小松 芳郎