【第163号】旧開智学校校舎が国宝に

開智学校内に、第十七番中学変則学校ができたのが明治9年(1876)7月10日である.10年8月に第十八番中学変則学校、12年5月に第十八番中学正則学校、13年1月に公立松本中学校となり、16年12月に東筑摩中学校にかわっていく。

この旧開智学校校舎一棟が、国宝に指定されることとなった。令和元年(2019)5月17日に開催された文化庁の文化審議会文化財分科会で、審議・議決され、文部科学大臣に答申される。答申後、官報告示を経て、正式に国宝に指定される。

指定理由は、国宝指定基準「重要文化財のうち極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いもの」による。

指定されると、近代学校建築として初めての国宝指定となる。松本市内の国宝(建造物)は2件になる。市内の国宝(建造物)の指定は、昭和27年(1952)指定の松本城天守以来、67年ぶり。長野県内の国宝(建造物)としては6件目だ。県内の国宝(建造物)の指定は、昭和28年の善光寺本堂など以来66年ぶりという。

開智学校は明治21年4月に松本開智尋常小学校と改称され、翌年に松本尋常小学校となり、25年4月1日に男子部と女子部による1校制をとって松本尋常高等小学校が発足した。松本市内には、松本尋常高等小学校の1校しか存在せず、児童数の増加にともなって部校が設置されていった。1校制最後の証書授与式は、昭和10年3月23日に1万445人の児童をあつめて開智部校庭でおこなわれ、4月からあらたに尋常小学校7校と高等小学校1校が設立された。

戦後も本町の女鳥羽川沿にあった開智小学校は、昭和34年8月の台風7号災害を契機とした女鳥羽川拡幅工事の実施により、新校舎は現在地へ建設されることになった。旧校舎1棟は、36年3月23日に、近代の学校建築としてはわが国はじめての重要文化財に指定された。38年から39年にかけて、松本市立開智小学校の新校舎の隣に移築復元され、40年から博物館施設として公開されている。

筆者紹介 : 小松 芳郎