【第33号】松中と深志の『校友』

『校友』は、明治年間から引き継いで、松本中学校での生活や思潮の実態や松中生の創作を載せて刊行され続けた。明治45年2月で40号(40頁)、7月に41号(112頁)。48号(大正3年11月30日)は、「小林有也先生追悼号」(126頁)である。大正9年度までは、年2~3回の冊子の発行は普通で、大正10年度から年1冊となった。

昭和期、戦時下の物資の欠乏で『校友』発行も制約されるようになった。80号(昭和11年2月15日)は307頁だったが、87号(18年2月20日)は117頁、88号(19年2月20日)の40頁の『校友』を最後に戦時下での発行はできなかった。3年後の昭和22年3月15日に89号(65頁)が発行された。90号は23年3月20日の発行である。

いま、私の手元にある松本中学校校友会『校友』90号をみると。小西謙校長が「新らしい学園の創造へ」と題して「『校友』第九十号をもつて松中校友会雑誌は終刊となる。松中は新学制実施により新制高校に移行する」と書く。

この巻頭文と、5年生のひとりが書いた「松中自治の批判」に続いて、研究2、作品5(うち2が先生)、随筆5、校友会だより4、部報、という構成で62頁である。

編集係に石上順先生ら5人の先生、委員に5年生6人、4年生4人が名を連ねる。編集ノートには、原稿募集に傾注した苦労を書く。

昭和25年3月発行の91号は171頁で(編集・発行者は藤岡改造先生)、松本深志高校の創刊号である。26年は発行されず、27年3月発行の『校友』が2号(150頁)となった。昭和43年1月発行の『校友』17号(172頁)は、特集「西穂レポート」である。

筆者紹介 : 小松 芳郎