【第12号】失策の記憶

「オレ、明日学校休むから」。帰宅した彼は、母親にそう言ったきり自室にこもってしまった。憧れの高校に入学してから初めての「ズル休み」を決め込んだ夜だった。

46年前にさかのぼる。甲子園の夢舞台へと続く全国高校野球選手権大会の長野大会中信予選。三塁守備に立った彼のまん前に、地を這うような打球が金属音とともに飛んできた。差し出したグラブに触れることなく、ボールは股間を通過して左翼前へ。試合開始のサイレンがまだ鳴り響いていた。

私学の雄に挑んだ母校は0-9の7回コールドで初戦敗退。「攻守に勝る松商が大量得点して深志を圧倒、順当に勝った。松商は一回表、一番が敵失、二番が四球で出塁、二死後、連続長短打で4点をあげて試合を決め…」。記念誌『松本中学校松本深志高校野球部の一世紀』に当時の新聞戦評が載る。日焼けしたイガグリ頭は、試合の主導権を奪われるきっかけとなった形のエラーを悔やんだ。

母親の眼差しはうち沈む息子の心模様を射抜いていた。失策と敗戦を糧にした涙の三塁手は、その後の人生をたくましく切り開いていく。久しぶりに会った東京での宴席の真ん中に、痛恨の場面を笑いながら語る彼。後日の着信メールには「トンネルのN」とあった。

筆者紹介 : 伊藤 芳郎