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蜻蛉乙女(あきつおとめ)
深志同窓会

第3回 乙女の輪 Something New

51回卒 和田 愛

中学・高校はバスケ部。大学は理系。芸術とはかけ離れたところで生きてきた私でしたが、大学時代から国内外を旅行する機会が増え、いつも持ち歩いていたカメラで初めて見る景色やそこで暮らす人々をなにげなく撮っているうちに" 写真 "への興味が大きくなっていきました。

自主制作の写真集・絵本、展示会用のポートフォリオなど

自主制作の写真集・絵本、展示会用の
ポートフォリオなど

あるとき、友人の勧めでカメラ雑誌に投稿したところ、それが掲載されたことで自分の撮った写真を人に見てもらう喜びを知りました。それから写真展をやってみたいという夢を持つようになり、また私と同じように写真に興味を持っている人や、写真だけでなく書道や絵、映像、デザインといったさまざまな分野で活躍する人たちとの出会いにも恵まれました。そうした方々の考え方、価値観、経験に触れ、一緒にコラボ作品を制作したり自主出版の写真集制作に力を入れたり、東京や松本のカフェやライブイベントなどで展示会を重ねていきました。

憧れのNew York(ブルックリンから見たマンハッタン)

憧れのNew York
(ブルックリンから見たマンハッタン)

2009年に友人の個展を見にNYへ行ったとき、グループ展示の誘いを受け、またギャラリー関係者の方とも出会い、翌年NYで "書道と帽子と写真" という異色のグループ展の開催にいたりました。
 私にとって初めての海外での展示。準備の1年間はプレッシャーとの闘いでした。今更ながら写真に関しては独学で、自分のカメラ技術や知識の乏しさから海外での展示などとんでもない場違いではないかと自分の無知を恥じたりもしました。しかし、それでも幼い頃からNYという地に特別な憧れをもっていた私はこのつかんだチャンスを絶対離さないという強い決意をもって突っ走りました。

NY展

NY展"SAKURA flutter"のレセプションの様子

2010年、真夏のNY。現地の日本人新聞や美術系雑誌への広告などギャラリーのプロモーションのおかげでレセプションにはたくさんの方が来てくれました。展示期間中にはアメリカに住む深志の先輩方も何度も足を運んで下さり、友人たちは日本から会場にお花を贈ってくれました。英語は1年間勉強した程度では全くネイティブの方のスピードにはついていけませんでしたが、身振り手振りふまえて作品の説明や情熱を必死に伝えました。そして、自分の作品が売れたときは信じられない気持ちでいっぱいでした。

支援先の福島の保育園(ともだちAHOさんぽのわプロジェクト)

支援先の福島の保育園支援先の福島の保育園(ともだちAHOさんぽのわプロジェクト)(ともだちAHOさんぽのわプロジェクト)

それから、2011年3月に起きてしまった東日本大震災。
TVで被災地の様子を見ながら、何か自分にできることはないか考え、仲間と共に復興支援プロジェクトを立ち上げました。
私たちは被災地の保育園や託児所など主に子供たちへの支援を目的に、支援者の方々から寄せられた寄付金で購入した生活必需品の他、支援者の方々の心のこもった手作りの物資を届け、また子供たちにいろんなことに興味をもってもらえたらとさまざまなアートも取り入れ、海外からの支援もお届けしています。一方的にお金やモノを送るのではなくて心通う支援とはどういうことかを考え、支援先の現状を伺いながら今必要とされていることに少しでも役立てたらと思って進めています。
震災から1年たって石巻を訪れたとき、海岸が未だに瓦礫の山だらけだった光景は忘れられません。支援物資を届けたときにカメラにピースサインをしてくれた男の子の笑顔も胸に焼き付いています。

NYの地下鉄であるフレーズを見て、心が高ぶったことを覚えています。
「Something New」
それは「何か新しいものをつかめ!」という内容の広告でした。
写真はいつも"新しい何か"とのきっかけを私に与えてくれるように思います。
人との出会い、展示会、復興支援活動、そして、このリレーコラム、、、
きっとこれからも。