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「選択的夫婦別姓の立法をしないことは憲法に違反するか」
国家賠償請求訴訟の形でこれを争った裁判につき、2015年12月16日、最高裁判所の判断が示されました。
当日、傍聴希望者の列は350人ほどに伸び、私を含め約150人が抽選を勝ち抜いて入場しました。
この訴訟には、2011年2月14日の地裁提訴の日から、応援団としてほぼすべての期日の傍聴をしてきました。上告に際しては、結婚改姓に伴う不利益や精神的苦痛を綴った陳述書を多くの人に呼びかけて書いてもらうことで、協力しました。
傍聴席の一部は上告人(原告)グループが占めていました。全員、夫婦で並んでいました。「死ぬときには本来の名前に戻りたい」の言葉で有名になった、現在80歳の塚本協子さんのご夫君も初めて参加、その姿を見て目が潤みました。
それなのに法廷で耳にした判決は、「夫婦同姓を義務付ける民法規定は、憲法違反には当たらない」というものでした。選択的夫婦別姓の実現を心待ちにしていた我々にとって、絶望的な内容でした。
私自身はこのとおり松本に多い「百瀬」姓。クラスに常に複数いて、ひどいときは女子だけで4人、ということもありました。呼び名も「まなみ」ばかりで、姓はどうでもいいと思っていました。
しかし、大学から東京に出てくると、「百瀬」と呼び捨てにされたり、「モモちゃん」というあだ名がついたりしました。やがて、「姓も名も両方大切、セットでこそ私の名前」と考えるようになりました。
結婚は1993年。夫の社宅にはいるために、会社に結婚後の戸籍謄本を提出しました。私の勤め先では通称使用ができましたし、戸籍の姓は一切使わず、公私共に百瀬のままで暮らすつもりでした。ところが、従来の口座で給与を受け取ろうとしたら、担当から「それでは架空の人物に支払うことになってしまう」と難色を示されました。「28年間生きてきた百瀬まなみが、合法的に抹殺された」と感じました。
1997年4月、海外旅行を目前にしてパスポート切れが発覚。また、転職も予定していました。仮に通称使用制度がある会社でも、それは独身時代から在籍する人に対する配慮であり、転職してきた既婚者の利用は普通、歓迎されません。ここでようやく、夫に離婚を承諾させました。既に自宅を購入し、社宅への義理立てもなくなっていました。
離婚後、会社も役所も、夫の姓を強制してこなくなりました。相続や税法上の扶養などの面で事実婚にはいくつか不便な点もあるのですが、自己の尊厳を守れるので快適です。
書類上とはいえ、離婚は尋常なことではありません。なかなか踏み切れない人もいます。このような裏技を用いなくても、夫婦がそれぞれ生来の姓を使えたらどんなにいいかと思います。
また、別姓夫婦の子どものことを心配する声が多いですが、経験からして、最初から両親の姓が違えば「我が家はそういうもの」と思って普通に育ちます。子どもは他の家庭と比べることなどしませんから、混乱しません。家族仲も良好、一人息子は法学部2年生となり、家族法を専攻すると決めています。
参考までに。現在は私が単独戸籍、夫と息子は同じ戸籍です。かろうじて住民票に「未届の妻」という文字がはいっており、夫婦らしいことがわかるようになっています。
今回の判決で、旧姓復帰を希望していた人、別姓婚の実現まで結婚を延期していた人がどれだけ失望したことでしょうか。姓の折り合いがつかなくて別れた、出産の適齢を逃したなど、現行法の下で幸せになれない人を数多く見てきました。この提案はあくまで「選択的」な別姓の導入に過ぎず、これまで通りの同姓結婚をしたい人の権利は何ひとつ侵害しません。これから結婚を考える子世代に、このような問題を先送りしてはなりません。
今後のことは国会に委ねられました。ここ数ヶ月の世論はおおむね「選択的夫婦別姓制度があってもいい」という方向に変わってきています。このことを踏まえ、多様性を重んじ、少数派の人権を守るような立法がなされることを期待します。
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