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蜻蛉乙女(あきつおとめ)
深志同窓会

第14回 蒼穹にトンボ飛ぶ

 25回 竹本祐子

青い空に、数多くのトンボが飛ぶ季節になった。
 新型コロナウイルスの感染拡大のおかげで、家に閉じこもる日々がいつになったら終わるのだろう。
 二度ワクチン接種したのに感染するブレイクスルーもある、などと、不安の中で過ごすうちに季節は移ろい、酷暑の記憶は遠ざかっていく。
 例年8月の最後の土曜日には同窓会の役員会が、9月の最終土曜日には総会が開かれてきた。
コロナ禍であろうとも、感染対策をして役員会も総会も開かれた。マスクに半分隠れた顔でも、目は口ほどに物を言う。アルコール消毒と、ソーシャルディスタンスの椅子の位置など、さまざまな会議や集まりの場面では慣れてきた印象がある。お楽しみの懇親会は取りやめが通例になった。
延期や中止の多い事業報告。それでも卒業後の周年記念事業で母校援助だけはコロナにも負けていない。母校を思う気持ちは、卒業して何年か経つうちに、そのありがたみや懐かしい思い出が増えてくる。
卒業回数によっては、名前のある会もある。年輩であるほど母校への思い入れが強いのか、5回卒は五蜻会(ごせいかい)、7回卒の大先輩に聞くと、七日会と称すると回答を得た。ついでに、毎月7日の夕刻7時から、会合を持っているという。うらやましい限りだが、コロナ禍にあってはさすがに中止の憂き目にあっているだろう。
11回卒は添俱会(てんぐかい)。8x8は64ということで、松中64回卒は葉っぱ会(はっぱかい)とか。大先輩から聞いたものである。ほかにもいろいろあるのだろうが、どなたかご存じの方にご教授いただくしかない。
私の25回卒は、にこにこ会と言う名がついている。毎月例会のごとく食事会があるが、コロナ禍でしばらくは休宴中。
部活動によっても、様々な名前がついている。音楽部のOBの集まりは志音会(しおんかい)、陸上部は天馬会(てんまかい)、バレーボール部は五色会(ごしきかい)。最近は新たな部活動もあり、新たな名前のOB会も誕生していることだろう。
また、学区制などなかったおおらかな昔の時代、県外からも深志に入学してきたということで、学生寮があった。寮の名前から飛雲会(ひうんかい)。その寮のあった場所は、旧制中学から新制の深志高校になる際に、同窓会に寄贈という形で送られたため、現在も土地の名義は同窓会になっているが、地上は天白公民館が使用している。
現在同窓会館の立地する場所にはまた別の尚志社という寮があったが、昭和36年に焼失している。出火原因はたばこの火の不始末だったとか。当時寮監をしていた先生は、焼失後はまさに意気消沈、青菜に塩の状態で、多くの人の憐れをかったという。尚志社のあとは、その後テニスコートになり、現在同窓会館が建てられている。
こんな昔の貴重な話が聞けるのも、役員会や総会の懇親会でのこと。その機会を奪われた近年は、語られない歴史のページが増えていくようで危惧している。

かつて男子校であった深志高等学校も、今や女子生徒の割合がおよそ50%になりつつある。昨今の男女共同参画だの、性差別撤廃の気風によって、男だから、女だからと、そこに固執することはなくなりつつある。女だてらに、と後ろ指差されることもなくなった。
 とはいえ、男らしさ、女らしさを誇示することはなくとも、男らしい人、女らしい人は、それなりに人間としての魅力を備えている。確かに、視点の違い、感性の捉え方、それぞれ違っていることを、お互いに認め合えば特に問題視することはないように思う。
 5月になると、校舎の屋上には大きな鯉のぼりが悠然と風をはらんで大空を泳いでいた。その光景は思い出の中に燦然と輝いている。女子生徒の数が増えたからと言って、3月にお雛様を飾る必要はない。深志高校の校風として、男女がともに鯉のぼりを眺めてエネルギーをもらえばよい、と私は思う。

初夏に買い求めて食べたビワの実の種を、無造作に土に埋めておいたら、なんとぞくぞく芽がでてきた。特別な待遇をしたわけでもなく、水やりだけはほかの植物と一緒にしてやる程度。それでもしっかりと芽を出して育っていくのが植物の生命力たるもの。
 あの高校教育の三年間に、おのれのその後の進路を方向づけ、自分を育てる情操、一個の人間として生きる糧のようなもの、そのタネを、植え付けられたのではないか。高校卒業後、それぞれが様々なものに出会って、自分の職業へと生かすなり、幅広い知識として教養を身につける。が、多くのものの中から取捨選択する際に指標となるのが、高校時代に好きだったこと、やりたかったこと、あるいは自分の得意とすることなのではなかったか。
 目の前を通り過ぎていく神羅万象、有象無象の情報過多な時代の波を、乗り越えていく力の源を得たのが、あの三年間であったと今更ながらに確信している。
 私が英語に興味を持ったのも、山本悟朗先生の厳しい英特の授業のおかげだろうか。ほんの1年だけでも米国で学んだのも、世界史の中村盤根先生の破天荒な授業のおかげか。
人生はどのようなことが起こるかわからないが、最後に決断するのは自分でしかない。その昔、婦女子は男の言うなりの生活を送らざるを得ない状況であったが、いまや自分の考えを持ち、好きな人生を自ら選び取ることができる。
 ウィルスは男も女も、若者だろうと年寄だろうと、容赦なく感染し、重症化した患者の命を奪う。ウィルスが自然の猛威だとすると、人間社会においては、扶養家族有る無しの控除の条件が同じであれば、税金は男でも女でも一律に課税される。
 だから、学校生活でいうなら、生徒会長も応援団長も、もはや男女どちらの肩にも担われる時代となった。もはや一国の総理大臣も、大統領も、男であれ女であれ、望まれた人物が就任すればよい時代となった。
コロナ禍のお蔭で、冠婚葬祭、生活習慣、さまざまな面が大きく変化した。もはや西洋人も握手をしない。見知らぬ人と透明のカーテンやアクリル板をはさんで会話することも、悲しいかな通常の生活スタイルとなった。買い物にいくと、釣り銭も機械から自動で出てくるか、ビニール手袋をしたレジ係がトレーを差し出す。こういった非接触型の生活が普通となり、人と人の交流が薄れていく。
こんな時代の節目にあって、どん底であがいている人も、するりと危機を脱する人も、あるいは我関せずと生き抜く人にも、深志高校という同じ時空間を共有した同窓生として、濁世の波を乗り越えていってほしい。友と汗水流して目標を目指したあの3年間、あるいは互いの肩を抱き励ましあった、濃厚接触型の青春があったればこそ、今を耐えられる気がする。
蜻蛉男児、蜻蛉乙女に栄あれ。

 


蜻蛉乙女とともに

蜻蛉乙女とともに

 


 

校舎屋上に、鯉のぼり舞う

校舎屋上に、鯉のぼり舞う