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人は何故に絵を描くのだろうか。
父が油絵の道具を揃えて私に描くように勧めてくれたのは、高校1年の夏だった。帽子を被ったカール人形のバック一面を、花のような色で埋めた8号くらいの絵であったと思う。
それから50年の間に、私は仕事にも就いた。存分に描けない時もあったけれど、なんとか描き続けることが出来たのは半分意地のようでもあり、また当然とも思っていた。
私は学校で美術教員として、生徒達に自己表現の楽しさを知ってほしいと思い勤めた。誰でも自分自身にしか描けない絵がある。それを探す楽しさ、表現出来た時の喜びを味わって欲しいと願ったからだ。表現技術というものは、時間をかければ誰でも身につける事が出来る、その追求の過程の中で自分自身にしか出来ない形の捉え方や、色彩表現が生まれて来るのであり、その人にしか出来ないものであるからだ。
私自身は大学でデッサンを学び、モデルを沢山描いたが、自分の作品としてのテーマはなかなか見つからず悩んだ。自分は何を目指すのか。自分とは何か。興味の趣くまま身の回りの物や人々を描く、それしか出来なかった。
ある時、仕事の教材研究で出会った陶芸家河合寛次郎の『仕事が見つけた自分、自分を探している仕事』の言葉が私の心を捕えた。それは、自分自身仕事に取りかかる前から存在しているというのではなく、仕事として物事に取りかかっている中で、生きるという仕事によって自分が出来るというのだ。この言葉に励まされ、絵描きでなくとも楽しく仕事に取り組むことが出来、まさに仕事の中で自分を見出すことが出来た。
退職して10年、私の中心には、いつも信州の自然が息づいている。朝の目覚めとともに2階の窓のカーテンを開け、東の鉢伏山を見る。そして、西の部屋のカーテンを開け、北アルプスの山並みを眺める、それが日課である。仕事に疲れた時、いつも癒してくれるのは、信州の自然である。上る太陽、青い空、昼間の月や夕陽、雨でさえ私の傍らに来て、母のようにやさしくいたわってくれ、山々は父の背中のように安心を抱かせてくれる。そう、自然の無償の愛は大きい。「人間として人間達を育ててくれる力の根源」。この信州のふるさとが与えてくれた喜びを描こう。私はいつの間にか絵のテーマが、ふるさとの自然への賛歌、祈りになった。
4年前の東日本大震災による地震、津波、福島の原発事故の記憶は、我々に何を語っているのだろうか。地球の美しい自然も、宇宙の永遠の営みの中にあって、無力である私は祈りを籠め描きつづけるだけである。
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