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海外で生活をすること、それは私の夢でした。故郷の松本を囲んでそそり立つ山々を越えて、もっと遠くの地を見てみたい、できれば海も越えて、異国の地で暮らしてみたい、そんな夢をいつからか持つようになっていました。
そんな私の思いがいつしか叶い、私は家族とともに、フランスのナンシー、そしてパリで4年を過ごし、その後アメリカのカリフォルニア州、そしてニュージャージー州でそれぞれ5年近い駐在生活を送ることになったのです。
ナンシーの夕暮れ(美しい街でした)
最初の赴任地、ナンシーは、ロレーヌ地方の小さな街でした。アジア人も少なく、お米なども買えないような街で、まだ小さかった子供を連れて、市場に買い物に行っては、つるされて売られている鶏に驚いたり、見たこともない食材にそっと触ってみたり、チーズの種類の多さに唖然としたり。。。毎日が新鮮な驚きの連続でした。フランス語もお料理も現地の習慣も、何もかもを吸収したくて、夢中で過ごした日々でした。
そしてパリでもカリフォルニアでも、私は、子育てをしながら、現地の言語や文化を学ぶことに一生懸命になっていたのです。
2009年から再びニュージャージーのプリンストンに住むことになったとき、私にはひとつの強い思いがありました。今までは現地で学ぶことばかりに夢中になっていたけれど、今度は日本の文化を自分から現地の人々に伝えていきたい、という思いでした。さまざまな地に暮らしてみて、その地の素晴らしさに感嘆しながらも、今までは見えていなかった母国のよさや日本文化の持つ奥深さをひしひしと感じるようになっていたのです。
プリンストン大学
そんな中、プリンストン大学で、日本のビジネスマナーに関するワークショップを開いてもらえないだろうか、というお話しをいただきました。日本で仕事をしたい学生や、日本の学会に出席する予定の教授や研究員の方に、日本でどう振る舞うべきなのか、ビジネスマナーを教えてほしいという依頼だったのです。
ワークショップにて名刺交換の練習
ビジネスマナーと一口に言っても、何をどう教えればいいのか、何が大切なことなのか、考えるなかで、私は、日本のマナーは日本人の心のあり方を映しているものなのだと気づきました。表面的にマナーを説明するのではなく、そのマナーを生み出した日本の心や文化を理解してほしいと思うようになりました。名刺の渡し方ひとつにしても、アメリカと日本では大きく違います。名刺をその人自身として丁寧に扱う日本のマナーはアメリカ人にとっては驚きなのでした。
ワークショップの様子
実際にワークショップを開催してみると、出席する学生や教授の方々が思ったより多く、急遽大きな教室に変更して行いました。質問も活発で、思いもよらないことに疑問を持っているものなのだと驚くことも多々あり、私自身もまた日本という国を見つめなおすよい機会になりました。その後毎年このワークショップを開催させていただいて、出席者の中には、卒業後、日本で仕事をしている学生さんも多くいます。
フランスでもアメリカでも、日本という国にとても興味を持ち、あこがれている人が多いと知る一方、日本があまり正しく知られず、報道されていない側面があるとも感じています。海外の方との密なコミュニケーションの中で、日本についてもっともっと発信していければ、と思っています。
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