【第114号】郷友会そしてコンパ

今も存続しているのでしょうか?

「コンパ」という言葉も、深志で初めて聞いた言葉だったと思う。その後、上京して、「ネオンのついたコンパ」があることを知り、先輩に連れて行ってもらったこともつなげて思い出すと愉快だ。

深志のコンパは、郷友会、クラス、部活、生徒会など様々なグループで開催されていた。

必ず夕方から開始で夜9時が終了。場所は「教室」。調理場は、校庭の端にあった。食器も最小限のものがそろっていた。どのグループもまず「カレー」をつくる。その時の指導者(?)や調理人によって、「味」が決まる。食べられなかったのは「ガム入りカレー」だった。チューインガムが仕込まれているのは「新入生用鍋」だけだった、と後で知った。「大量の唐辛子入り」も体験した。唐辛子は「ストーブにくべられた」ときは大変だった。それも「歓迎」の表現だったのだ。「人生の試練」と言いたかったのだろうか。

片づけの食器洗いはよい体験だったと思う。その時代、家庭ではやたらと「食器洗い洗剤」が出回り始めていた。けれどコンパではそんなものを買うお金があるのなら食料を買ったほうが良いわけで、砂や泥を洗剤代わりに使った。今なら復活を歓迎される向きもあろう。

会たけなわになると、なにやら「白いもの」が宙を飛び交った。「チリ紙に包んだコショウ」が頭上から降ってくるのだ。生卵の投げ合いもあったけれど、女子には当てないような気づかいがあった。

筆者紹介 : 太田 正子