【第112号】郷友会など

そもそも私にとって、高校生活のすべてが大変な驚きと初体験の連続だった。

なぜなら、周囲は「お父さんが同窓生」「兄姉が同窓生」という人が多かったのに対し、我が家は、両親ともに中国からの引き上げで松本の人間ではない、長女なので家族にだれも深志を知る者はいなかったのだ。

「今とは時代が違う・・・」と思い出すこと2つ;

1 入学後すぐに、学年全員の住所氏名と親の職業を記載した名簿が配布された。だれも疑問を呈しなかったと思う。今だったら「個人情報・・・」大変なことだ。のどかな時代だったのだろう。

2 「郷友会」は、今もあるのだろうか?通学電車で毎日「若き同窓生」と一緒になるが、その話題は聞こえてこないということは、随分前に消滅しているのだろうか?この会の名も古風というか、軍隊の名残のような感じを受けるのは、今の時代だからかもしれない。郷友会とは、「同じ小学校出身者の会」だった(地域によっては中学校のまとまりだったと思う。松本市清水中学校は多数だったので「源池小学校」と「清水小学校」に分かれていたのだと思う。)源池郷友会は50人ほどだったと思う。会場は「教室」で、たいてい「カレーを皆でつくって、食べて、語って、寮歌などを歌う会」だった。「夜9時終了」になると、ほとんどマンツーマンで男子が家まで送ってくれた。私の相手は、「憧れの先輩」だったから、それはそれは胸のときめくことだった・・・

筆者紹介 : 太田 正子