【第204号】読めない漢字

 高校に入学して古典の授業があった。1年生の時は大原先生、2年生では石上先生、3年生では藤岡先生に習った。特に漢文は印象的であった。何を習ったかはほとんど覚えていないが、「小人閑居して不善を為す」と言って、麻雀に興じていたことは覚えている。

 ところで、同志社大学の創始者、新島襄の言葉に「倜儻不羈」がある。不を除けば見たこともない漢字が並んでいる。かろうじて中国史を学ぶ中で羈縻政策に接したことがあるので、羈は読める。話を戻すと、「てきとうふき」と読み、「才気がすぐれ、独立心が旺盛で、常軌では律しがたいこと」を意味する。確固たる信念を持って自分の責任のもとに独立し、常識や権力に拘束されることのない自由な人間のことを指すようだ。そういう生き方ができればよいな、と思わせる言葉である。

 読めない漢字ついでに、「隗より始めよ」がある。隗は人名なので読めないのは当然ともいえるが、この言葉は高校の教科書にもあるようだ。「物事に挑戦するに当たっては最初に言い出した者がまずは取り組むべきだ」を意味する。

 最近の若者は、「いろはにほへと」も満足に言えないという話を聞いたことがある。しかし、漢字が読めない大人も増えているような気がする。先人が残した言葉には人類の英知が溢れている。老害を口にする前に、頭の活性化のためにも先人の知恵を改めて学びたいものだ。

筆者紹介:水野好清

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