【第184号】沈黙交易

かつてアイヌの社会に沈黙交易という風習があった。ある村と交易をしたい人は、村から少し離れた場所に交易品を置きその場を立ち去る。村人は交易品を気に入れば、その交易品を受け取り、代わりに返礼品を置く。しばらくして最初に交易品を置いた人が返礼品を受け取る、という仕組みだ。当時、村人は村外の人との接触を極端に嫌った。なぜなら村外の人との接触は、村に疫病の蔓延の危険を招き、村の人々の全滅を招きかねない危険を避けるためであった。

かつて、アメリカのインディオ社会では、ヨーロッパ人の登場により、他の要因はあるもののヨーロッパ人が持ち込んだ疫病により人口減少が起こり、劇的な社会変容がおこった。人類の歴史は疫病との戦いであった。衛生環境の整備と医療の発達する今日でもその戦いは続いている。

昨今の新型コロナウイルスでは、ウイルスという目に見えない得体の知れない存在によって驚異的な危機的な状況にさらされている。浅薄な私にはウイルスという存在自体を理解できないが、聞くところによると、自然界の多くの生物にはウイルスが存在し、そのウイルスに人が感染すると生命の危険にさらされるらしい。ある意味、人類と他の生物との異常な接近がもたらしたものではないかと思う。

コロナ対策について、さまざまな対策が叫ばれているが、一番気になるのは公衆衛生の退化だ。そもそも、公衆という言葉も死語と化している。公衆便所、公衆電話は減った。コモンセンス、利他。個人の権利が強化される一方で、自分の行動が他の人に、時には命の危険をももたらすことを、今回の騒動で思い知らされる。

テレワークやテクノロジーの進歩による解決も必要だが、個人としての行動の在り方、人間関係の在り方、暮らし方について問い直すときでもあると思う。

筆者紹介 : 水野 好清