【第136号】「歌の練習」

4月10日、用事があって深志教育会館を訪れた。

深志高校の屋上から、太鼓の音と生徒の歌声が聞こえてきた。

その少し前、市民タイムスに「応援練習」の記事が掲載されていた。その記事を読んで「応援練習」には、違和感を覚えた。40数年まえ、深志高校在学当時、応援団管理委員会(応管)に所属していた身としては、「応援練習」をした覚えはなかったので、学校関係者に確認したところ、屋上での行事は、「歌の練習」とのことで安心した。

やはり、あれは「歌の練習」でなければならないと思う。校歌、応援歌、祝記念祭歌、寮歌。私の記憶の中には、多くの歌が刻まれている。

練習自体は、今でいえば「いじめ」でしかなかった。しかし、歌の数々が記憶の中に刻みこまれた意味は大きかったと思う。当時は、意味も分からず覚えた歌詞にちりばめられた難解な言葉は、いま思えば青春の日々を語る言葉であり、悩み、希望、さまざまな想いが交錯する若い情熱が込められたものであり、先人や先輩の想いに心を寄せるものであったように思う。

語り継ぐことの大切さがあの「歌の練習」にあったと考えると、伝統や自治の継承の意味が「歌の練習」にあったのだ。やはり、単なる「応援練習」であってはならないし、「いじめ」の場であってはならない。

「深志生」への登竜門の一つであり、大人への扉の一つであると思う。

筆者紹介 : 水野 好清

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