長野県長野高等学校1年生から電話があった。11月下旬の日曜日に訪問して「長野県の満蒙開拓団と長野県の太平洋戦争の被害について」、4人で松本まで出かけてきてインタビューしたいとのことだった。
学校長からの依頼文によれば、令和元年度から長野高校は「地域との協働による高等学校教育改革推進事業校(グローカル型)」に指定されていて、1年生は「長野のグローカル戦略を探る」という授業を、総合的な学習の一環として実施しているという。生徒たちが研究テーマごとに5人前後のグループをつくり、県内各地を訪問するフィールドワークを実施しているとのことだ。
男女2 人ずつの長野高生は、朝10時から午後3時半まで、長野県は、なぜ満蒙開拓団送出数が日本一だったのか、長野県の戦争はどうであったのか等々、昼食もとらずに熱心に話を聞き、学習していた。
こうしたフィールドワークの成果を、どのようにまとめていくのだろうか。学校での指導助言はどの程度なされるのだろうか。機会があれば、知りたいものだ。
グループの学習が終わっての話のなかで、長野県歌「信濃の国」の話がでた。松本中学の教師であった浅井洌が明治32(1899)年に作詞した、県民の多くが唄える歌だ。平成27(2015)年の信濃毎日新聞社の調査によれば、「すべて歌える」「1番は歌える」の合計は全体で79.5%だった。20代が78.8%、40代が79.1%、50代が81.8%、60代が82.5%、70代以上が89.1%だった。ただ、30代だけが50.6%と桁違いに低かった。教育現場で扱わなかった時期がこの年代だという。
6番まで歌えるという長野高生のひとりは、小学校のとき、学年順に「信濃の国」を斉唱したという。1年生が1番を、2年生が2番を、そして6年生が6番をというように。これなら卒業までに全部暗唱できるようになるわけだ。
深志生が、いま「信濃の国」を唄うときはあるだろうか。