【第217号】飯沼飛行士万歳、松本中学の昭和12年

 26歳の飯沼正明(松中52回卒)飛行士は、「神風号」で塚越賢爾機関士(群馬県出身)とともに、昭和12(1937)4月6日に東京立川飛行場を飛び立ち、4月10日にロンドンに到着した。東京・ロンドン間の94時間17分56秒での飛行は、世界新記録であった。
 当時花の26歳という言葉が流行したが、この飯沼正明と横綱双葉山・美男俳優上原謙だったという。
 松本中学校では、3月20日に、朝日新聞社訪欧飛行の飛行士に選ばれた飯沼正明の成功祈願のため、全校で四柱神社に参拝した。
 4月9日(金)午前9時、講堂で小山保雄校長(第6代)の紹介式と始業式があった。翌10日午後、飯沼飛行士英国着感謝祭が四柱神社でおこなわれたが、松本中学全校が四柱神社にお礼詣りし、旗行列をおこなった。
 5月21日(金)の放課後、中学の屋上で、この日に無事帰朝した飯沼飛行士の万歳を全校生徒で三唱。
 6月8日(火)には、飯沼飛行士・塚越機関士歓迎の提灯行列が、松本城天守閣広場で開かれ、全校生徒が参列。午後6時半集合、7時29分に校庭出発、9時に天守閣広場で解散した。
 7月5日(月)、飯沼飛行士が松本中学校に来校、全校生徒に「亜欧連絡記録大飛行より帰りて」の講演があった。
 その2日後の7月7日に、盧溝橋事件がおきる。日中戦争のはじまりである。
 そうしたなかで、9月7日(火)午後5時、松本警察署から、7、8日、15日から19日の間に、東部防衛司令部管下の防空訓練実施の通報があった松本中学では、15日(水)防空演習を実施、さらに17日・18日にも演習をおこなった。19日午前9時、防空演習警戒警報が解除され、演習を終えた。
 松本中学では、この年の12月13日(月)午後12時半から南京陥落旗行列に参加し、翌14日の朝礼時に、南京陥落祝賀万歳をおこなった。
 この年、私の父は松中3年生。同級生だった上原良司などとともに、それぞれの行事に参加していたはずだ。

筆者紹介 : 小松 芳郎