【第207号】県議会本会議に上程された分県意見書

 

 「北信県と南信県を設定する」という分県意見書は、武装警官が議事堂内外を固めるなか、昭和 23 年(1948)4月1日の県議会本会議に上程された。松橋議長(長野市選出)が欠席したため、小松副議長(諏訪市選出)が議長席について開会された。
 分県意見書の提案理由説明のあと討論、無記名投票となった。定数60の県議会は、南信北信各30議席であり、欠席した議長が北信のため、副議長が議長となっても29(南信)対29(北信)の同数となり、地方自治法の規程により、そのときの議長が1票を行使して賛成すれば、30対29となり、過半数で可決されると予想されていた。
 採決の結果は、分県意見書の賛成29(南信)、反対26(北信)、白票3(北信)となり、賛成が法定数にたっせずに審議未了となった。同数でないため、議長の1票が行使できなかったのだ。白票が投じられるとは誰も想像していなかった。北信の議長欠席という戦術にでた松橋議長による「コロンブス作戦」といわれた。
 この場で、傍聴席をはじめ議事堂周辺からおこった「信濃の国」の歌声。分県運動を推進してきた南信議員のなかには、「あの歌の大合唱で、運動の気勢がそがれた」、「胸のなかに太いクギを突きさされたようだった」、「長野県が二分されると、もうこの歌も歌えなくなる。やはり信濃の国は一つだ」という議員もいた。
 この分県問題はあとをひき、24年2月の定例県議会に、県庁の支庁を辰野へ設置する意見書が提出されたが、本会議で賛否ともに過半数にならず廃案となった。
 南信の下諏訪町出身の林虎雄県知事は、南信と北信の対立を解消する融和策を推進したが、そのひとつが、25年12月の県議会で議決され、29年1月に完成した「長野県松本会議場」(通称、県的会議場)だ。鷹匠町にあった松本地方事務所の隣に建設された。建築予算は1200万円で、松本市は建築費のうち400万円を負担した。


筆者紹介 : 小松 芳郎

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